まさかのクリエ日記放置状態から二十数日が経ち、
2015/6/19 滝CHANnelにてHクリエほか映像が配信。その勢いで一筆、からの出直し。
言ってしまえば、Hクリエそのものには執着はないんだよなあ、と。
もう完全にとあるラインを遥か超えていくクオリティで、
かっこいいし可愛いし楽しいし笑えるし優しいし本当に良い出来栄えだった。
そして、とてもさっぱりとした公演だったといま思い出しても思う。
オーラス終演直後にも、からっとした気持ちであるとTwitterに書いていた。
たぶん、そういうこともあって日記を放置しているんじゃないだろうか。
そのうえで、やっぱりヲタの端くれとしてHクリエについて幾つか。
無理矢理何かに例えて後々自分にとってわかりやすいように書いておこうと思うと、
そのキーワードは舟になるんだろうなあって。
同じ渡り舟に乗り合わせた人々、みたいな気持ち。
大きな湖でも渡るような舟
そこは河川ではないし、もっと大きな水たまり
海ほど広くなく
/ このあいだも、その前も、同じ舟に乗り合ったよね、また共に良い旅をしよう
/ きみとはずいぶん久しぶりだけど、また旅ができることを楽しみにしていたよ
/ いつもお世話になってます、乗り合うのは初めてだけれど、宜しくお願いします
/ 舟が無事に岸についてよかったなあ、良い旅でよかったなあ
/ さて舟から無事に降りたことだし、さあさあ次の旅支度
/ また同じ舟に乗り合うこともあるかもしれないけれどね
...ってだいたいこういう気分なんじゃないかな自分、違うか、違うのか。
その一方で、では何に執着しているのかといえば
彼が幾度か共に旅をする機会のある、特にご縁のある仲間っぽい人々のことですよ。
(ここでは「っぽい」とかくのが適当かなと思うのは、
たぶん彼らが以前雑誌で「(自分たちが)シンメっぽく(なったのは)」
といった流れの話をしていたのを読んだからかなあ。
いま誌面を見直せないので記憶とカンで書いているけれど
とても正しい言い回しだと思ってる。「シンメっぽい」んだよ、あくまでも)
この仲間っぽい人々のことがわたしはとても好きで、
たぶん、ほかのどの塊よりも好き。ぼんやりとした輪郭の塊。
そして最近つくづく思うことは、
運命共同体に見えるものってのは、
とてつもなくロマンチックで残酷なものだよねえ。
それはときどき舟に乗る仲間っぽい関係や、ぼんやりとした塊とは違うもの。
そして文字通り「運命共同体に見えるもの」は存在しているとしても、
「運命共同体そのもの」は、Jr.界隈には存在していないもの、だとも思うわけで。
とかうだうだ書いてるわたしには、
残念ながら「~に見えるもの」さえもいまだ見えてない。
もちろん「~っぽいもの」なら幾つも見えている 幾つも。
でも「運命共同体に見えるもの」がないから、
最後の最後で気が楽、とも言える気がするんだよねえ。
結局何の話かって突き詰めれば、
萩が幸せならば正直なんでもいいなー という雑な話で。
共同体がそこにないから、個の幸せを喜んだり祝ったり祈ったりしていればいい。
けど、できることならば彼らの幸せを喜んだり祝ったり祈ったり、したいよなあ。
そしてどうでもいいけど舟といえば『宙船』もあったね。
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ。
名曲だなあ。